なぜ佐久市望月(旧望月町)は【駒の里】と呼ばれるようになったのか?
それは京都に都があった時まで遡るそうです。
当時、御牧が原(現東御市)・望月一帯は朝廷に献上するための馬を養成するための雄大な牧場になっていました。
ここで生産される馬はとても立派だったそうです。
そのため「望月の駒」として有名だったと言われています。
朝廷に献上するための牧場を「御牧(みまき)」と呼んでおり、献上する日が満月だったこと、満月は別名「望月」ということから、いつしか望月という名称が使われ始めたとされています。
こうした歴史から、望月地区は馬と共に生活してきた場所だったので「駒の里」と呼ばれています。
現代において本物の馬は限られた場所(望月馬事公苑)にしかいませんが、マンホールのデザインが馬だったり、街のところどころに馬のオブジェがあったり、望月にとって馬は今でも身近なシンボルとなっています。
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